旧刑法と現行刑法
趣味のブログを始めてみろと言われて、よくわからないが、とりあえず趣味というか好きな分野である法制史を扱ってみたい。特に、刑事法制史が好きなので、とりあえず、今回は、旧刑法と現行刑法について、扱ってみたい。(勉強にもなるしね。)
旧刑法は、不平等条約改正のために、近代的刑法の整備が必要であるとの認識の下で行われた。
もちろん、旧刑法の前には、新律綱領、改定律例といった刑法がまとめられていたが、これらは、中国の律の流れをくむもので、近代刑法の大原則である罪刑法定主義とは真逆の断罪無正条(ある行為を処罰しようとするとき、それに適用できる明文の規定がなければ、ほかの規定を類推解釈して処罰しても良いというもの。)が存在するなど近代的刑法とは大きくかけ離れたものだった。
このような認識の下で制定された旧刑法は、第2条で罪刑法定主義を、第3条第1項で刑罰不遡及の原則を定め、それまでの律の流れをくむ刑法と決別した。
また、旧刑法のほかの特徴としては、比較的犯罪の規定が詳細であることや、全体として刑罰の程度が軽いこと、(他の国の刑法の影響も受けているが、)当時のフランス刑法(思想)の影響が強いこと(特に原案を起草したフランス人法学者、ボアソナードが支持していたオルトランの折衷主義刑法理論)が挙げられる。フランス刑法(思想)の影響が強いことに関しては、未遂犯の刑が必ず減軽されること、自首による減軽などに影響を及ぼしたという指摘がある。
(自首減軽については、律に由来するが、元々は窃盗などの財産犯にだけ適用され、その効果も、完全に免罪されるというものでだった。ボアソナードは、これを犯人の自首を促進するために利用しようと考え、原案では対象をすべての犯罪に広げ、その効果も刑の減軽の程度におさえた。しかし、その後の日本側の審査の結果、殺人罪については適用されないこととなるなど律のシステムに近いものに修正された。)
旧刑法は、公布後すぐ、新律綱領や改定律例の復活を目指す旧守的立場からのもの、近代学派刑法学(後述)の立場からのものなど様々な批判にさらされた。
そのため、司法省は施行後まもなく改正案の立案を始めた。司法省の法律取調委員会は、起草後の修正に不満を抱いていたボアソナードが起草した改正案をもとに改正案を作成し、1891年の第1回帝国議会に提出したが、会期が満了したため廃案となった。
翌年、1892年に司法省は、刑法改正審査委員会を設置して、そこで改正作業を行わせた。1897年には、日本弁護士協会などからの公開要求を受けて、刑法草案を公表した。この時公表された案が、現行刑法の原型となっている。その後は、何度か修正が施されたが、改正反対運動や、刑事訴訟法の改正、議会の解散などで成立は遅れていき、1907年にようやく成立した。
こうして成立した現行刑法は、近代学派刑法学の影響を大きく受けていた。
近代学派刑法学というのは、犯人の置かれた環境や犯人の性格によって犯罪が行われるというもので、人を犯罪の道に走らせないようにする社会政策の必要性を唱え、その一方で、犯罪をした人間に対しては、その性格を改善することが必要であり、刑罰はそのためにあるとする学派である。
(これに対して、人は、自由な意思に従って行動するので、刑罰は犯罪をした人に対する非難であるとするのが古典学派刑法学である。前述の折衷主義刑法理論はこちらに立つ。)
現行刑法は、旧刑法から様々な規定を受け継ぎながら、近代学派刑法学の影響を受けて、多数の修正が行われた。例えば、旧刑法が、罪刑法定主義の原則に則って犯罪の類型とを細かく区分していたのに対して、現行刑法は、個々の犯人に応じた刑罰を科すために、規定する犯罪の類型を包括的で、弾力的なものにして、裁判官の裁量を拡大した。また、これに伴って拘禁刑の種類も徒刑、流刑、懲役、禁獄、拘留の6種類から、懲役、禁錮、拘留の3種類に減らされた。そして、現行刑法は、旧刑法が第2条、第3条第1項で罪刑法定主義を掲げていたのに対して、そのような規定を持たない。
例
第三編 身体財産ニ対スル重罪軽罪
第一章 身体ニ対スル罪
第一節 謀殺故殺ノ罪
第二百九十二条 予メ謀テ人ヲ殺シタル者ハ謀殺ノ罪ト為シ死刑ニ処ス
第二百九十三条 毒物ヲ施用シテ人ヲ殺シタル者ハ謀殺ヲ以テ論シ死刑ニ処ス
第二百九十四条 故意ヲ以テ人ヲ殺シタル者ハ故殺ノ罪ト為シ無期徒刑ニ処ス
第二百九十五条 支解折割其他惨刻ノ所為ヲ以テ人ヲ故殺シタル者ハ死刑ニ処ス
第二百九十六条 重罪軽罪ヲ犯スニ便利ナル為メ又ハ已ニ犯シテ其罪ヲ免カルル為メ人ヲ故殺シタル者ハ死刑ニ処ス
第二百九十七条 人ヲ殺スノ意ニ出テ詐称誘導シテ危害ニ陥レ死ニ致シタル者ハ故殺ヲ以テ論シ其予メ謀ル者ハ謀殺ヲ以テ論ス
第二百九十八条 謀殺故殺ヲ行ヒ誤テ他人ヲ殺シタル者ハ仍ホ謀故殺ヲ以テ論ス
第二十六章 殺人ノ罪
第百九十九条 人ヲ殺シタル者ハ死刑又ハ無期若クハ三年以上ノ懲役ニ処ス
第二百条 自己又ハ配偶者ノ直系尊属ヲ殺シタル者ハ死刑又ハ無期懲役ニ処ス
引用に際しては、編集部が付した条文のタイトルは削除した。
また、執行猶予の制度も、近代学派刑法学の影響によるものである。近代学派刑法学は、犯人の性格の改善を重要視するため、本人の様子を考慮して刑罰の執行を猶予し、社会での改善を試みようとしたのである。そして、旧刑法では、未遂犯は、法益(法律上保護されるべき利益のこと)侵害の程度が低いために、必要的減軽としていたが、現行刑法では、未遂犯であっても、犯罪行為に出た犯人の意思が既に発露しているとして、任意的減軽に留めた。
まとめ
日本で最初の近代刑法、旧刑法は、各国の刑法を参考にしつつも、フランス刑法(思想)の影響を強く受けたものである一方、自首減軽の扱いなどについては、なお律の影響がみられた。(なお、現行刑法38条2項のように律に由来する規定が他にもある。)そして、旧刑法は、犯罪を詳細に規定していた。
一方で、現行刑法は、旧刑法が依拠したフランス刑法(思想)、折衷主義刑法理論(古典学派刑法学)に代わって、近代学派刑法学の影響を受け、犯人の性格改善のために、罪刑の定めを大まかにし、執行猶予の制度を導入した。そして、犯人の性格を重視するが故に、法益を完全に侵害しない未遂犯にあっても、刑の減軽を任意的なものに留めたのであった。
現行刑法には、その後、改正刑法仮案などの全面改正の提案が持ち上がるが、戦争や改正案の内容への批判からそれが実現することはなく、社会や価値観の変化に合わせて部分的改正を重ね、現在へと至っている。(全面改正については、また別稿を書きたい。)
参考文献
浅古弘ほか『日本法制史』青林書院、2010年